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No.01 「所」について
No.02 低圧用検電器
No.03 マレーループ法
No.04 ワンメモリー電卓
No.05 キーボードの "Enter" キー
2006.11.29
2007.01.17
コラム No.11~No.15
コラム No.16~
コラム No.01~No.05
コラム No.6~No.10
◆コラム No.1 ~ No.5
No.01 「所」について 2005.12.10
自家用受変電設備の建物名称に、「特高受電所」、「特高変電所」と記入してある図面が時々ある。電気設備技術基準(電気設備に関する技術基準定める
省令)第一条「用語の定義」によると、「変電所」とは、構外から伝送される電気を構内に施設した変圧器、回転変流機、整流器その他の電気機械器具に
より変成する所であって、変成した電気をさらに構外に伝送するものをいう。と定義されています。
自家用受変電設備においては、変成した電気はすべて構内で消費するので「変電所」の定義には当てはまらない。この「変電所」は法律用語であるが、
電技をよく理解していない建築士が構内「変電設備」を「変電所」と命名したのなら、ご本人が知らないうちに法律違反をしたことになる。また、機器
メーカの営業マンにも「変電所」とおっしゃる方がおられます。
「発電所」・「変電所」とは、電気事業者(電力会社)、電気鉄道、太陽光発電、風力発電、地熱発電等に限定された用語であり、自家用施設の場合、
「特高受変電設備棟」、「特高電気室」、「特高変電室」等と命名しなければならない。
No.02 低圧用検電器 2005.12.10
1967年の春頃、工事現場の仮設CB(キュービクル)が、落ちたので点検に行くと変圧器の上にネズミが一匹死んでおり、高圧側に絶縁筒がなか
ったため前足と後足に小さな傷が認められた。電力会社の PCS のヒューズが溶断していたが復電後、検電をするため低圧検電器でネズミが感電し
た高圧側を検電した。
新しいゴム長を履いていたので大丈夫[ωCE=2πfc・6600/√3でCは十分小さい値]と信じ、電卓を3回たたいて確認し、また検電器を挟んだ
指が曲がると外れる状態で、横に棒心を立たせ、試みたところ、検電器のネオン管がまぶしく光り、右腕の付け根まで電撃が走った。C≒0.005 [μF]
とすると、漏洩電流は、7 [mA]程度になっていたであろう。Cは条件によっては、一定の値とは限らないので低圧検電器で 6KV の検電は絶対にしな
いようにして下さい。
【注】心室細動をおこす商用周波数での外部流入電流値の目安は、約 20 [mA] 以下、指の筋肉量は、曲げる方が伸ばす方の約3倍です。
1970~73年頃、工場のメンテナンス工事で、3KVケーブルの補修(水トリー、薬品等に起因する外装シースのピンホールの場所を探して、モールド
処理をする補修作業)工事を多数行った。当時のケーブルは 3KV BSE (ブチール・ゴム絶縁ポリエチレンシース・スチール・コルゲート鋼ケーブル)で、
このスチールコルゲート鋼と対地間の絶縁が劣化するとピンホール発生の確率が高いので、この発生場所を特定するために、マレーループ法により測定
側からのケーブル亘長を推定する方法だが、欠点としてこのケーブルの全長が正しくないと誤差が生じる。すべて地中埋設部分があり、亘長は 200 ~
700m 位であったが、発生場所の多くはコンクリート製オープンピット部分にあった。
一度の測定で発生場所を正確に見つける方法として、このケーブルの反対側からも同様の測定を行い、推定場所が、たとえば 20mずれたとすると、正
しい場所は、この中間位置 10m 付近にあることが確認できた。
No.03 マレーループ法 2005.12.10
1970年前半、ワンメモリー電卓が 46,000円 (シャープ製) ほどした。現場事務所での見積作業が算盤 (ソロバン)から電卓に取って代り、ずいぶん楽
になった思い出がある。当時、函数電卓は高価だったので、このワンメモリー機能を利用してルート計算と三角関数の近似計算を試みた。
f(X0)=f(X)+⊿X・f'(X) =f(X)+(X0-X)・f'(X) → f(X)=√X とすると、
√X=(√X/2)+X0/{4・(√X/2)} √X:近似値,X0:真の値
上式の右辺は、近似値の1/2をメモリーに入れ、次に真の値を4で割り、メモリーを呼出して割ってメモリーに入れる・・・・を繰り返すことにより、
収束させていくニュートン法なのです。架線弛度や変圧器励磁突入電流計算で、三次方程式を解くために、この方法を導入しています。
例えば "ルート3"を求めるとき、最初の近似値を1.6 とすると (1.6/2)+3/4/(1.6/2)=1.7375 次に 1.7375 を近似値に置換えて同様の操作を
すれば、近似値:1.732059、3回目の操作で近似値:1. 732050807 と収束します。三角関数では、フーリェ級数展開の第3項までワンメモリー機能
使をい、計算させると、有効数字 4、5 桁が得られます。是非お試し下さい。
No.04 ワンメモリー電卓 2006.07.31
1975年頃、キューバ紡績プラントの基本設計を担当させてもらい、日本2社を含む国際7社で技術面、コスト面を競い、東洋紡績が1位を獲得し、
ダイダンも電気設備工事の受注ができた。書類作成に英文タイプライターを会社に要求したが、当時会社は誰一人このことが理解できず、やむなく、
自宅にあった古いレミントンの英文タイプを設計室まで提げていき作業をした。
現在のキーボードは、決定キーが [Enter] になっているが、以前は [Return](戻る)、その前は、[CRLF] であった。 これは、Carriage Return
Line Feed の頭文字で、タイプライターで一行打ち終えるとベルがなり、用紙をセットした円筒を用紙の左端まで移動させる→これがキャリッジ・リ
ターンであり、円筒を一行改行するのがライン・フィードなのです。 キーボードの原点は、タイプライターなので、シフトキーで大文字、小文字の
切替えやバック・スペースはバック・ステップのなごりであり、スペースキー、Tabキーはタイプライターと同じ位置に配置されています。
No.05 キーボードの "Enter" キー 2006.07.31
◆コラム No.6 ~ No.10
No.05 のキューバ・プラントの基本設計で地中管路の断面配置に対するケーブルの連続許容電流値の関係を検討したが、5列2段10孔で平面管路間隔
=300mm、上段の管路芯=GL-1200mm、上段-下段の 間隔=250mm と 300mm の場合、6KV CV 3C- 22sq ~ 200sq で 300mm の方が 250mm
より 7.5% ~ 9 5% 連続電流を多く流せる結果が出た。また緯度の違いで国内では、地中管路の基底温度は25[℃]だが、現地は、30 [℃]のため、
√[(90―0)/(90―25)]≒0.96 即ち4%、40[℃] (砂漠地帯) だと、13% 連続許容電流が減少するので各布設方法について、
提出用に容許電流表を作成しました。
実は、このときの資料の大半を今も持っています。 資料を広げたついでに、外灯の検討書を見返すと、車道8mの構内道路にHF-400W (H=6m)を器
具間隔 36m、40m、H:8m を器具間隔48m、52m と4種類作成していました。4m の升目をきり、こわれるほど函数電卓をたたいて逐点法による計
算をし、手書き (雲形定規) で照度曲線が画かれていました。
No.06 地中埋設ケーブルの連続許容電流値 2008.09.08
工事施工に携わっていたころ、電気室のフレ-ム組み工事、フロアダクト工事、構内地中管路工事等 に水準器を覗いて基準ズミから施工水準点を計測
するのが、楽しかった。ところが、水準器と望遠鏡の光軸にズレがあると、実際より高め(低め)に計測されることになります。
この癖を簡単に見付ける方法として、水準器をセットして近くの水準を数十メートル離れた地点に 移し、この水準器を移した水準地点に移動して、元
の水準に重ね合わせるとその誤差と距離から水準器 の 100 m 当り何mmの上がり癖/下がり癖があるかが分かりました。
二年ほど前、知り合いの小6のお嬢ちゃんに、ある面積を求める問題を出して一週間後に解答を約束したことがありました。ある面積とは、正方形の
各点から辺の長さで円弧を画き、4つの円弧で囲まれた部分の面積を求めると言うものです。中学生なら簡単なことでも、小学生にとっては、少し難し
かったのかも !!
No.07 水準器の上がり癖/下がり癖 2008.09.08
中学生向け解答 ⇒ 101 KB
1970~73年頃、工場の高圧 (3KV) 仮設配線工事を多数施工管理した。 ケーブル接続の際、VCB を" 切"にして VCB二次側を検電すると検電器が点
灯することが数回あった。当時の真空遮断器 VCB (Vacuum Circuit Breaker)は、初期の製品(M社製)で可動部のベローズ(ジ ャバラ)に欠陥があり、
真空度が低下し、絶縁破壊電圧-真空度曲線V特性の 20Pa (パスカル)付近では、破壊電圧は約300V程度まで低下 (真空度が0.1Pa以下では、破壊電圧
は、数万ボルト以上) することが主な原因であった。
高圧遮断器の主流が、油入遮断器 OCB (Oil Circuit Breaker)であった時代に同じスペースで、3段積、4段積が可能な VCB は魅力的な製品であった
ことには間違いのない事実だが、機器信頼度の点では、OCB の方が VCB より優れていた。
現在でも、VCB、真空電磁接触器 VMC (Vucuum Contactor)の一次側には、断路器 DS (disconector)を設けることが望ましく、製造者側は、引出
し型を考案した経緯がある。
No.08 VCB、VMC と DS 2006.11.29
No.09 IVの連続許容電流値と小林係数 2007.01.07
1976頃、IV (Inner Vinyl:これは日本語英語です→ Indoor Vinyl electric wire) 線の各サイズと連続許容電流値との簡易式を求めたことがある。
先ず、両対数のX軸に許容電流値、Y軸に電線サイズをプロットし、直線比例するものと仮定すると、
a a/A
lnA=alnI-bより、ln(I )-lnA=ln(I )=b
(注) ln:自然対数:ln(e)=1 、e=2.7182818・・・
b/a 1/a
I=e ×A a、b:係数
上式の b/a、1/a を求めるために、14sqmm (1.6mm/7本撚り):I=88[A]、A≒14.0743、250sqmm (2. 3mm/61本撚り):
0.635
I=556[A]、A≒253.4401 を代入してI=16.41×A [A] を得る。
I:連続許容電流[A]、がいし引き配線
A:導体実断面積 [sqmm]
温度条件:基底温度=30[℃]、導体許容最高温度=60[℃]
0.635
基底温度θ[℃]の場合、I=16.41×A ×√(60-θ)/30 [A]、管内配線の場合、配線本数を Nとすると、
√I=16.41×A^0.635×(60-θ)/30×K[A]
-1/3
K=N :管内許容電流減少係数 (小林係数)
小林係数:1933年小林勲 (こばやし いさお) 氏 (当時、東京電灯会社に在職) が 発見した"Nのマイナス3分の1乗"は、1940年に米国、
1966年に英国が採用し、日本を始め全世界の標準になっています。
600V CV-3Cケーブル (2sqmm ~ 500sqmm) の簡易式は、基底温度:40[℃]、導体許容最高温度:90[℃] 気中暗渠布設の場合、
I=15.0×A^0.629×√(90-θ)/50 [A] となります。
1967年発行の「電気設備設計データ・計算の基礎」(社団法人日本電設工業協会)第二種接地工事 (B種接委員長) 記述内容の抜粋を以下に紹介します。
世界の配電は直流で始まり (1882年NY市、1887年東京)、交流配電 (1889年大阪、1890年東京)に変っ た。初期交流配電は、各国ともに非接地系で
大阪、東京ともに一次側単相2000V、二次側100Vでしたが 二次側にはB種接地はなかった。1897年(明治30年)10月15日発行の「電気の友」第75号
に「電気に触れて変死を遂ぐ」と題して、次の記事[前出 (コラムNo.09) の小林勲氏 (当時、社団法人日本電設工業協会技術委員会副)執筆]が載って
います。
10月1日午後5時10分、東京神田錦町二丁目三番地牛肉店江知勝方の女中おはな (15) が肉切場より電灯 を入口の下足のところへ移さんとして、電灯紐
(コード)に手をかけると同時に、アッと一声叫びしままその場に打倒れて苦しむ体に、家内の者共大いに驚き一同駆付け見たるに、おはなが右の手にて
押さえし電灯紐の電気いかにして感じけん、同人の中指および人差指に線は焼付き居るに、いよいよ騒ぎ立たしが、主人万吉が有合わせし肉切包丁にて右
の電灯紐を切断したれば、暫くおはなの手より電灯紐は離れたり、依て直ぐさま向川岸小川町二番地なる高橋医師を招き診察を乞いたるも、その時おはな
はすでに死し居たれば、いかんともせん方なく ・・・・・ (以下略)
これは変圧器の一次巻線と二次巻線の混触による日本最初の感電死亡事故例で被害者家族が被害賠償の訴訟を提起し、敗訴した東京電灯会社(現在の東
京電力)には、1500円の賠償が命じられた。
当時、この種の混触事故は世界各国で起こり、感電事故、火災事故が発生し、その対策として変圧器の二次側にフィルムカットアウト(破壊電圧まで電圧
が上昇すると導通する一種の放電器)を取付け、接地する(常時非接地、混触時B種接地)方法を採った。その後、1911年(明治44年) わが国で初めて
の電気事業法が公布され、それに伴って逓信省令・電気工事規定(後の電気工作物規定、昭和47年電気設備技術基準)が発令され、その23条に第二種
(B種)接地工事が規定されて、フィルムカットアウトは大正中期には、その姿を消した。
(参考) 世界で最初に商用直流配電を始めたのは、イタリヤの事業家ヘルマン・アインシュタイン(Albert Einstein の父親)である。
No.10 B種接地とおはなはん 2007.01.09
No.11 感震器と地震のエネルギー 2007.01.09
◆コラム No.11 ~ No.15
数年前の設計監理物件で工場内新築管理棟(SRC造3階建て)1階柱際の地中梁上部に感震器を強震以上の地震が発生したとき警報と構内放送を
する目的で設置したことがある。感震器の設定は 250 [gal] にした。 (注) gal(ガル):地球の重力加速度1G(ジィ) =980 [gal]
(参考-1) 震度階級「国土交通省河川・道路等施設の地震計ネットワーク」より
震度4 : 40~ 110 [gal] 震度5弱:110~ 240[gal] 震度5強 :240~ 520[gal]
震度6弱:520~ 830 [gal] 震度6強:830~1500[gal] 震度7 : 1500~ [gal]
(参考-2) 感震器の仕様 [SISMO]
センサ方式:鉄球接触型/加速度センサ型 感 震 方向:XY水平2軸/XYZ3軸
設定加速度:150~250[gal]/10, 50, 100, 150, 200, 250, 300, 350, 400[gal]
地震波エネルギーE と 指数 M (マグニチュード) の 関係式 M (マグニチュード) の 拡張利用について
logE=4.8+1.5M 巨大なエネルギーを表す方法の一つとして使用すると
E:地震波として検出されたエネルギー[J(ジュール)] 便利な場合があります。例えば、地球や太陽の自転・公転
M:マグニチュード (magnitude) エネルギー等の大きい値の表示に利用できます。
1.5 3
(参考-3) Eはマグニチュードが"1"大きいと10 ≒ 31.6倍、2なら10 =1000倍になります。巨大地震
マグニチュード8.0 の地震波エネルギーE は、
4.8+1.5×8 16.8 16
E=10 = 10 ≒ 6. 3×10 [J]
16 10
これを電力量に換算すると、1[KWh]=1000×3600 [J]より、 (6.3×10 )/(1000×3600)≒1.75×10 [KWh] となり、
これを発電するための原子力発電所-出力100万 [KW] の運転時間を求めると、
(1.75×10^10)/(100 × 10000)≒17500[時間]≒730日、平均2[KW]の 住宅600万戸 (オースラリア全土) に電力を供給
するとした場合、(1.75×10^10)/(2×6,000,000)≒ 1458[時間]≒2ヶ月分になります。
(参考-4) 国土交通省/気象庁-防災気象情報-地震情報 Magnitude ⇒ 設計図面 ⇒
No.12 高低圧切替作業とチェックリスト 2006.11.29
最近は、受変電設備の改修工事等で活線作業を行うことが少なくなったが、停電作業でも安全確実に工事施工をするためには、周到な計画と綿密な打合せ
が不可欠です。更に実施工程と計画工程に違いが生じた場合、この原因を究明、反省し次の工事に備えることが信頼向上につながるものと思います。
重要度の高い工事を確実に施工するためには、重要作業を事前の模擬工事で作業手順、作業工程を把握し、重要度によっては、模擬訓練を行い、本番に
望むことも必要なことでしょう。
No.13 太陽光発電と CO2 削減 2007.01.05
二年前に設置した我が家の太陽光発電システムの発電量は、5,580[KWh]に達した。電力会社の年間の重油使用量に換算すると、
(5,580/2年)×860/[発電所効率] 0.42≒5,713,000[Kcal/年] より重油の燃焼熱:9,600[Kcal/Kg]、比重:0.9 から、5,713,000/9,600
=重油595.1 [Kg/年]、595.1/0.9≒重油 661.2 [リッタ/年]
CO2 削減量のC(炭素)換算削減量は、重油 (ハイドロカーボン) の炭素平均を C20 とすると、C20H42=原子量12×20+原子量1×42=282 [g/
モル] より、595.1×(240/282)≒506.5 [Kg/年] になります。
これをガソリン (オクタン:燃焼熱:10,500 [Kcal/ Kg]、比重0.8) に換算すると、
C8H18=114 [g/モル] より、(5,713,000/10,500)/0.8≒680.1 [リッタ /年] で、燃費12 [Km/リッタ] の車なら、680.1 × 12
≒ 8,160 [Km/年] 走行できる量になります。
No.14 漕艇部合宿所-シロと超人 2007.01.17
長年、飼っていた愛犬の "シロ" が昨年暮れに老衰 (18.5歳) で死んだ。知り合いから譲りうけたスピッツと柴の
雑種で、病気ひとつしなかった賢い雌犬でした。
学生の頃、大半をボート部の合宿所で過ごし、近くの銭湯に裸足で行き他人のツッカケを履いて帰ったり、月夜
に艇を出して畑に海から上陸して 100~200Kg の "ジャガイモ" や "玉ネギ" を失敬して食費削減に充てていた。
このような蛮行は、ボート部員の他にはいなく、大らかに見逃してもらっていたのだが、怒鳴り込まれたことが
一度あった。それは傍にあった造船所の船台で海に進水させるクヌギのレール (1尺×1.5尺×2間) を夜中に一本抜
いて、二人がかりで全部薪にしたが翌朝、造船所のおやじが変わり果てた山積みの薪を見つけて 8000円 払えと言
った。その後、台所の二つ竃 (ヘッツイ) のオクドさんは、プロパン・コンロに替わった。
昭和39年の朝日レガッタで優勝したことがあるが、卒業後に当時の問題点として推進力とは無関係の造波抵抗
(cosθ) をできるだけ減らす漕法を提案し、これに変わった。この汚い合宿所から、二度日本代表としてオリンピッ
クにシングルスカル、ダブルスカルで出場した "超人" 武田大作君が出ています。彼とは二度ほど遭ったが、温厚で
家族思いのイイ男です。
シロ 16.5 才の 頃
15.決して自慢にならない「落ちてしまったのだ」の話 2016.10.25
その1……夜道に自転車ごと田んぼの中へ
大学生の頃、教養課程を終えて松山から新居浜に移つり、パチンコに負けて自転車に乗り、店を飛び出して間もなく暗い小道を走っていると一
筋間違えて三叉路を直進し、1.5 mほど下の刈り取った後の田んぼの中へ落下、空中で一回転して”尻餅着地”を見事にして完了。
☀ 物的被害:なし、人的被害:怪我なし
☀ 事故原因:暗順応(目が暗さに慣れる)前であったこと。暗順応:夕暮れから夜に移行する約40分間、明順応:夜から日の出に移行する
約30分間
その2……忘年会の帰りに自転車ごと道路の側溝へ
入社数年目のサラリーマン時代、会社の忘年会の帰りに駅から自転車に心地よく乗り、ゆっくり走りながら一瞬目をつぶって開けてみると、真っ
すぐ走っている実感が爽快で、暫らく続けていると通称”夫婦池”に差しかかり、南北にある大きな溜池を横切る道は、大きくS字に曲がっており、
気が付けば池を過ぎて直ぐの道路の側溝のなかに腰から下が水没の状態で完了。
この側溝は幅60cm位のコンクリート製で蓋はなく、自転車もろとも一回転して側溝の真中へ落ちていました。帰宅するとコートのポケットの中
から、泥や”タガメ”の死骸が出てきてワイフに怒られてしまいました。
☀ 物的被害:左の靴を紛失・クリーニング代、人的被害:怪我なし
☀ 事故原因:酒酔いによる判断力の低下、自己過信
その3……Ronrico に酔いしれて
50才を過ぎ、その日の多忙な仕事を終え、オフィスで一杯飲ってから帰宅するのが日課で、プエルトリコのラム酒”ロンリコ”(アルコール度数
75.5 度-ビンのラベルに火気厳禁の文字あり)をストレートで飲み干し、電車に飛び乗る毎日でした。下車して自転車に乗るころ酔いが回り、
駅近くにある農業用水路(2.5m × 深さ2m)に自転車ごと落下、空中で半回転して、背中を擦りながら川底に尻餅をつき完了。
このロンリコは、ウイスキーと違い飲んだ後しばらく胃の中が痛みます。(胃壁から出血しているのです)
☀ 物的被害:左の靴他が流失・クリーニング代、人的被害:怪我なし
☀ 事故原因:酒酔いによる仮眠状態、自己喪失状態
その4……最終電車に間にあわず
65才のころ、電気工事現場管理で福井県の小浜小学校新築工事と大飯町のテーマ館新築工事の請負仕事のため、小浜でレオパレス自炊生活をし
ていました。大飯の現場には、JR小浜線で通勤し、仕事が終わると駅前の居酒屋での一杯が楽しみでした。ある日、あまり時間が無かったが、
この居酒屋に立ち寄り、最終電車(21時 45分)にあわてて走り、駅近くの緑地の縁にあった側溝に転落しました。この側溝は幅60cm、深さ
1.8m あり、コンクリート蓋が交互に敷設してあって、丁度蓋のしていない所で足を踏み外し、水路底に横転して完了。
☀ 物的被害:左の靴を紛失・ノートパソコン水没・ズボン廃棄・クリーニング代・上の入れ歯が左右に割れる
☀ 人的被害:左太もも打撲・擦過傷、左ひじ打撲、左上唇5針縫う、居酒屋のお兄ちゃんの車で高浜病院へ搬送、CT検査、左上唇縫合、
翌昼まで入院
☀ 事故原因:酒酔い状態での慌てた行動
処置が終わり(土曜日)、入院先の病院から自宅に電話で、明日夕方までにノート・パソコン持参を依頼したところ女房と長男、次男の三人で
やってきました。せっかく小浜に来たのだから、おいしいものが食べたいとのこと。二軒案内し、久々の家族でおいしく料理をたいらげ、その日
遅く帰りました。私の入れ歯がダメになって湯豆腐、出し巻きしか食べられないのに。午後、長男が現場事務所でパソコンの初期設定をしてくれ
たので支障なく翌日からの仕事ができました。
一週間後、入院した高浜病院へ行き、唇の抜糸をしました。私を担当した若い当直医は内科医で、縫合はしたことがないと言い、取りあえずして
みるが、抜糸も必ず自分がするとのことでした。
◆コラム No.16 ~
16.ボーイスカウトと保津川下り 2015.08.29
◆保津川とは
京都[亀岡]から[嵐山]に流れ下り、川幅が広くなると[大堰川]と名を替え、渡月橋
から[桂川]となり、南下します。今は、全て[桂川]と改名しています。 次に琵琶湖
から[瀬田川]、[宇治川]、更に、奈良県の[宇田川]、[名張川]、[木津川]の三川
が石清水八幡宮の西側で合流し、淀川、新淀川( 今は "淀川" と改名)となり、大阪湾に
注ぐ支流の一つなのです。
◆保津川の水量について
田植え時期の渇水期は、10ton/Sec程度でした。渇水期を除く、通常時は20~30ton/Sec でした。大雨の時は、100ton/Secを超えるこ
ともありました。ゴムボート(観光船のやかた船も同様)では渇水期には、普段見えない岩肌が露出する操船が難しい川なのです。
◆水中の "滝" を下る
中流域に“1級”の瀬(瀬には、1級~5級の5段階あり“5級”になると、ゴムボートでは危険すぎる流れです)が続き、その先に4~50mの大きな淵
があり、川の水がこの淵に吸い込まれているような場所で、この瀬の始まりから淵まで水中メガネを着けて飛込みました。ゴムボートでは容易い瀬で
も直接水中に入ると次々現れる岩を交わすのが難しく、上半身は交わせても太もも、脛には沢山のアザができました。
いよいよ瀬に来ると川底に吸い込まれ、まるで川の中の滝を下るように川底に着いたときには薄暗くなり、水圧で額にかるい痛みを感じました。若い
頃、素潜りで水深10m位で、この痛みがあった体験からこの川底も、これ位の水深だったのでしょう。このまま流れに逆らわず、川底をゴロゴロ流
され、6、70m 先の対岸にユックリとした上昇流にのって川面に浮上し、ここの流れが川底であることを実感しました。
この場所は、馬堀の瀬が始まる所から嵐山の、ほゞ中間点 (90°右曲がり) にあり、潜水時間は、1.5~2 分位でした。
◆逆転の発想
保津川には、狭い川幅で、急に岩が飛び出している所が何か所もあり、素早い操船(ホールさばき)をしないと艇から落ちたり艇そのものがひっくり
返ったりすることがヨクありました。
次のような場面を想定して、理屈っぽいのですが数値で確認します。
◎ 川の流速:3[m/sec]、 ボート(艇)の速度:0.7[m/sec] ◎ 障害物の岩を前方右側 9[m]で確認し、回避行動を開始する。
A.艇を左側30度に向けて前進で移動させる。
B.艇を右側30度に向けて後退(バック、ゴースタン)で移動させる。
ここで、◎艇の川の流れの方向の速度:0.7×sin 30°≒0.606[m/sec] ◎川の流れの水平方向の速度:0.7×cos 30°=0.35 [m/sec]
障害物までの到達時間 :Aの場合 9/(3+0.606)≒2.50 [sec] Bの場合 9/(3-0.606)≒3.76 [sec]
障害物までの水平移動距離:Aの場合 2.50×0.35 =0.875 [m] Bの場合 3.76×0.35≒1.316 [m]
となり、Bの方が時間かせぎをすることで、水平移動距離を大きく稼ぐことができる訳です。実際”亀岡”から乗艇し”馬堀”までの 2kmほどの緩やか
な流れで、[バック漕法] と [号令] の訓練をし、瀬に臨むと、殆んどのBS(Boy Scouts) 隊員が岩を交わせるようになったのです。
後日、参加したBS隊員諸君に、障害になっていた岩をうまく回避できたことを褒めながら、諸君が大人になり、困難に直面したとき、この逆転の発
想で乗り切ることが出来ることもあると幾度か話した記憶があるのですが、彼らが社会人になり、これを実行したかどうかは、さだかではありません。
隊の活動としてBS隊員十数名が4人乗りゴムボートに2名づつ乗艇し、嵐山渡月橋の手前まで無事、到着したのですが、11年間にわたり一般キャ
ンプの他ケービング、測量等もしました。また第9回(1986年)蔵王高原、第10回(1990年)妙高高原で開催された日本ジャンボリーにも参加でき
ました。
◆美味しい湯豆腐
同好会仲間とは、朝からの行程で実施し、昼ごろ嵐山に着く頃には、左岸に数軒ある料亭風の湯豆腐何々亭によく行きました。私同様、ほとんど羞恥
心を持ち合せない我々は、緋毛氈の席に案内されるのですが、ずぶ濡れの短パン、シャツ、裸足姿で行き、入店拒否は、されなかったものの何時も、
隅の席に案内されたものです。
美味しい湯豆腐を満喫して、濡れた短パンのポケットから濡れた札を取り出し、札の端を持って振りながら水を切って支払うサマは、大阪弁で“おまえ
らアホとちゃうか”と言われそうな光景だったのでしょう。
京都人がスゴイのは、入店拒否は基本的にせず上手に必要最小限の対応で実利を優先する強かさがあり、アホで人の表面しか見ない地方出身の東京人
とは一味違います。川下りを卒業したあと、かみさんと二人で、この湯豆腐のお店を何回か訪れました。
◆10年間の川下り
この保津川下りは、年数回のペースで楽しんでいましたので、合せて数十回行ったことになります。 同好会としては観光船との並走を避けるため、
亀岡を夕方にスタートし、夜の九時ごろ嵐山にゴールするパターンの実践を積み、夜間は危険だと一般的には思われがちですが実は、真っ暗ではない
のです。京都市内の照明が上空で反射し、川面は案外と明るいのです。回数を重ねるうちに、川の危険情報が頭に入っていて、安全に川を下れたのだ
と思っています。
無事、嵐山にゴールすると、最終の近鉄急行に間にあうよう、すぐに着替えにかかるのですが、手ごろな場所がなくて、全員公道に尻を向けて素早く
着替えたものです。想うに、これはどう考えても美しい光景ではないし、嘆かわしく、醜いと感じる人がほとんどだったと思います。
現に、この時間でも夜の小道を散策するアベック等も多くいて、着替えが終わるまで立ち止まって、待っていてくれたようでした。
要するに、”生尻” を見るに堪えないと感じるかどうかは、見る人と私との信頼関係の深さにあるのであって、我が子の尻を見るに堪えないと思う親は
いないのではないでしょうか。保津川下りから尻云々に話が飛び、まさに "シリ" 滅裂になってしまい、失礼いたしました。
◆飛騨川の激流下り
入社数年後、有志十名ほどで、ゴムボート研究会を立ち上げ、仕事の合間を見つけて各地の川でラフティングを楽しみました。奈良県吉野川をきっ
かけに京都府保津川、岐阜県飛騨川、北海道釧路川等へ急流を求めて出向いたものです。飛騨川では、下呂温泉から乗艇し、飛水峡の手前まで一泊
二日の行程で実施しましたが、前日からの雨で水量は普段より多かったようで、出発直前、中部電力に問い合わせたところ発電所の放水量は、毎秒
100トンで下呂でも推定100トン位あったので、合流地点以降は200トン以上と想定され、申し分のない水量が期待できました。
スタート地点から3級の瀬が続き、快調に操艇していたところ、急に川幅が狭くなり、川の中央で2m位水がもり上がりたところにさしかかり、私
の二人艇は無事通過しましたが後ろの三人艇が乗り上げ、うつ伏せになって転覆しました。事前に、操艇中に川に転落しないよう命綱を各自つけて、
いざと言う時には綱を切るシーナイフを装備していましてが事故にあった一人は、海外の現場から帰国して間がなかったのかナイフを装備してなか
ったので、足がロープに絡まり、やっとの思いで脱出でき、事なきを得ました。
必要な装備を怠ると、事故になりかねない事例でした。ボーイスカウトでも ”そなえよ、つねに” を実行しています。このあと左岸に停船してテント
を張り、この日の夕食をとったときも命からがらの彼は元気がなかったようでした。
翌日からは、水量の多さに助けられて快調に進み、合流地点からは川幅も広くなり、木の葉のごとくアッという間に流れ下り、爽快感のなか飛騨川下
りは完了しました。
No.17 ケービング_河内近江風穴 2018.07.06
◆河内近江風穴
滋賀県彦根市の東数キロにあって鈴鹿山系北西部に位置する鍾乳洞で風穴(河内の風穴(かわちのふうけつ)部分は、昔から地元では、よく知られてい
て、狭い入口を入ると大きな空間があり周回できる観光コースがある。
このコースの途中から人ひとり寝転がって、やっと通れる穴を抜けると幅 30~40 m、高さ 40~50 m、奥行き 80~100m の巨大な空間が二つ繋がっ
ていて、その奥の小さな入口から長さ数キロにわたる鍾乳洞が広がっています。
この鍾乳洞の発見は、最近のことで30年ほど前に橿原地区ボーイスカウトのリーダー数人で初めて行ったとき、関西各大学探検部の連中が内部
を測量していました。後日、我々も簡易測量をし平断面図を作成したのですが、その資料が残念ながら見当たりません。
◆危険な場所
狭い抜け穴け:入口の登り勾配から水平になり、穴の高さ分沈んで、また水平になる長さ10m足らずの穴ですが、雨が降るとへこんだ部分に水が溜ま
っていて、狭い穴の中では寝返りができないため、最初に入るとき体の上下を間違えるとへこんだ部分で息ができないことになる。一度、同行した大学
生が雨降りの穴でパニックになり、危うく事故になりかけたことがありました。
垂直の割れ目:鍾乳洞部分には、狭い割れ目があり、両腕を使って数mの上下移動をする場所が何カ所かありました。迷ったときの対処方法が必要にな
ります。
対処方法-1:ひと巻き 100 m の道糸を用意し、スタート地点から繋ぎながら前進し、帰路で回収する。
対処方法-2:道糸がない場合、迷ったとき、片方の手を壁にあてがいながら前進すると必ず元の場所に戻ることができる。
◆無二の友
ボーイスカウト活動の地区内で知り合った自営業の構造計算設計士の方で、若いころ仕事のかた
わら冒険家を目ざして、エベレストに二回挑戦、クライミング訓練中にハーケンが外れ 20m
落下、大けがをしたり、冒険家の故植村直己氏、ヨットの堀江謙一氏ら五人で北極点までヨット
で冒険旅行を体験した人でボーイスカウト活動を中心に飲み友達として今も親交を深めています。
前出の対処方法-2は、彼から教わりました。
◆ケービングの楽しさ
この鍾乳洞には、30回以上チャレンジしました。ボーイスカウト隊員 15~20名を連れて行くときは、大空間までとし、リーダーだけの時には鍾乳洞
の奥にある地底湖まで行き、大学生は楽しんで泳いでいました。風穴は狭いところが多く膝と肘にはプロテクタをつけ、予備も含めて防水ヘッドランプ
は必需品でした。大空間では、コウモリの糞が20cm以上積り、踏むと指の間から湧きでる感じがしました。
糞の中には、これを食べる2cmほどの虫が無数うごめいていました。水中には目が退化した魚もユックリ泳いでいました。
この風穴は夕方以降は入場できないのですが、お酒の好きな管理人(元学校長)に一升瓶といっしょにお願いし早朝まで潜り込んでいました。
洞窟内の気温は季節を問わず18℃位で、夏は涼しく冬は寒くない環境で、全身泥だらけの体を水で洗い流し帰路についたものです。
コ ラ ム-1
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